2020.03.30かくかくしかじか
不要不急の個人差
福岡でも、不要不急の外出自粛要請が出た先週末。
我が家は、昼にスーパーへ買い物に行き、後はのんびり自宅で過ごしましたが、途中で花見を楽しむ人々を何組も見かけました。
きっと、絶対にしなければならない花見なんだろうと首をかしげながら理解し、賛同する仲間も送り出す家族もいるのだなと無理やり納得しながら、皆さんの無事を祈りました。
ニュースで「若者と高齢者の外出」について、時間に余裕がある事と、学生さんなどの若者は、自身が感染していても無症状で、その間の移動で知らぬ間に広めてしまう可能性が高く、高齢者は体力の問題で感染、また重症化しやすい為、特に注意喚起されています。
がしかし、不要不急の考え方は「個人」に任せているので、何ともバラツキが・・・。
テレビで「海外へ卒業旅行し、熱があったが行事に参加。後日、陽性と診断された。」と言う若者や「家にいるとボケてしまう!コロナなんか気合があれば大丈夫!」と昼から飲んでいる人生の先輩を見ると、「いや。考えてわからんかね?」と思うのですが、判断は個人差。口悪く言えば、本人の勝手な訳です。
と言う事は「私が感染したら、お父さんやお母さんも検査されるだろう。その間、仕事に行けなくなると困るよな。」とか「自分が感染したら、子ども達にも迷惑がかかるんではないか?」と「もしも」を想像できない人がいるのも事実。
この想像が及ばないのも、善悪でなく「経験値の差」だと思います。
経験は、実生活上は当然ですが、前世で経験した事も含まれると言われています。
その為、若い・熟年は関係なく、個人差が大きいのも当たり前で仕方がない・・・。
外出自粛については今までも呼びかけて来ました。
でも、普通に花見、飲み会、興味本位での散歩に出かける方がいる訳です。必要な外出と言う判断なのです。
これを改めてもらうべく、同じように「再度、不要不急の外出は自粛を」と肩書のある人が言っても、遅刻をする生徒の叱責を、遅刻していない生徒の前でする先生と同じ。多分、何も変わりません。
いろんな人が暮らしている地球で、何か一つの事を成し遂げるのはとても大変な事なのかも知れません。
この狭い日本の中でさえ、難しいと感じます。
それぞれ経験値と感覚が違うのです。
ただ・・・
今日は子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、誰もが知る偉大な方が、コロナウイルスで亡くなりました。
離れた県の誰かの死は遠く感じても、小さい頃からいつもテレビで笑わせてくれる人の死に何かを感じた方も多いと思います。
お茶の間に笑いを届けてくれた方が、最期にコロナウイルスの怖さを教えてくれた気がします。
みんなに笑顔をくれた人の死を、みんなで経験したのです。
もう一度、不要不急の基準を自問自答して行動を。改めて、事の大事さを踏まえた行動を。
最後に・・・
志村けんさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。